育児放棄による幼児二人の死に思う

2010年8月4日 10時06分 | カテゴリー: こども 教育

親以外の世代の違う人と話すのも良い薬です
親以外の世代の違う人と話すのも良い薬です
こういう事件が起きると必ず言われるのが、「児童相談所はなにをやっていたのか!」です。
今回も、記者会見で「児童相談所として、われわれができることをやってきました」の類の発言。いつも、こんな言葉が語られます。「制度のなかでできることしかやらない」のが現状で、それが正しいと思っているところに問題があるのです。中に入って調べる必要がある場合は警察と連携すればよく、「警察に連絡してはならない」と職務規定に書いてあるのでしょうか。「職員としてやること以外はしない」の典型が今回の事件だと思います。こんな程度のことしかできないなら、児童相談所は必要ないじゃないですか。そうではないはずです。

20年近く前になるでしょうか。私が生活者ネットの事務局をしていた頃のこと。事務所に1本の電話がありました。「隣りの家で、母親が子どもを虐待している」というもの。それは、子どもの悲鳴に近い鳴き声と怒鳴り散らす母親の声がする、というものでした。区に相談したところ、児童相談所に親本人が相談するしかない、というのです。当時、近隣の通報で児童相談所が動くことはなかったのです。その後、子どもへの虐待が相次ぎ、制度が変わって、通報で動くことができるようになりましたが、これだって、おかしなこと。そもそも、隣近所の関係ができていれば、「おやおや、どうしました?」とおせっかいおばさんが登場したものです。この通報を寄せてくれた方とやり取りした結果、この方がおせっかいおばさんになり、若い母親の話相手になったことで、状況は改善。

人間関係が希薄になってきているといわれているなか、全部が全部このようにうまくいくとは限りません。その時のためのセーフティネットに、児童相談所が成り得ているのか、これが問題です。いつもこういったことが起きると、矢おもてに立たされるのが児童相談所。一所懸命頑張っている児童相談所もありますので十把一絡げにはできませんが、職員である前に人とあれ、です。

そして、相談機能。大げさなものでなくともいいのです。買い物途中に立ち寄れるような身近なところで、気軽に入れるしゃべり場、それも手作業(編み物や小物作りなど)をしながら話ができる場、「ご相談、どうぞ」という堅苦しいものでないものがいい、という声が寄せられています。空き店舗などにできるといいと思っています。

我が家には、食事が何よりの楽しみで生きている子がいて、小さいころから「メシ、メシ」だったため、子どもには空腹にさせないよう気を配ってきた気がします(「気のせいだ!」の声あり)。育児放棄事件は、ひもじい思いで亡くなる場合が多く、「おなかすいたよ〜」というのが最期の言葉だったのか、それでも「おかあさ〜ん」「ママ〜」と力尽きたのかと思うと自然と涙が出てきます(「鬼の目にも涙」の声あり。うるさい!)。