生死を分けた2分!「うちの主人、大船渡にある水産加工会社に出張していて津波がすぐ後ろに迫ってきて『死』を考えたって言っていました。昨日、10時間かけて日本海側を回って帰ってきました」

2011年3月21日 23時17分 | カテゴリー: 安心・安全

震災救援所が立ち上がる時に必要な物資が保管されている教室。
震災救援所が立ち上がる時に必要な物資が保管されている教室。
「東日本大震災緊急アンケート」調査の聞き取りで、津波に遭遇したご家族をお持ちの方にお会いしました。
「うちの主人、大船渡にある水産加工会社に出張していたんです。連絡がずーっととれずだめか、って真っ白に。でもおととい連絡がとれて、生きていたことがわかりました。きのう10時間かけて日本海側を回って帰ってきました。津波に追いかけられて逃げて逃げて、すぐ後ろに迫ってきて『死』を考えたって言っていました。あと2分遅かったらだめだった、って言っていました」
奥様のほっとしたお顔がそこにありました。

高齢者の方にもお目にかかりこんな声もありました。
「80年生きてきてこんな地震初めてよ。あなたは?」
「え、私?私も初めてですよ(^_^;)」
「あらそうなの?」(・・・・・・・・ )
「ちょうどお米がなくなったので買いに行ったらどこにもお米がないのよ、あなた。今だってないのよ。戦時中を思い出すわよね?」
(・・・(^_^;)・・・)

60回目の結婚記念日だった方も。
「大久保駅で地震にあったの。小滝橋まで歩いてバスに乗って中野駅まで出て、そこから歩いて戻ってきました。1時間ちょっと歩いたかしら。今も筋肉痛で大変。家に帰ったら割れた瀬戸物を主人が片づけてくれててね。結構割れちゃって。飛び散った様子を見ていないから実感がないけど、忘れられない結婚記念日になったわ。11日、60回目の結婚記念日だったのよ」

区は、「3日間は食料・水を自力で用意してください」と常日頃からお願いしています。結婚した当初、母から「いつ何が起きるかわからない。お米は5キロ多くとっておく、お風呂の水は次を沸かすまで抜かない、水は夜寝る時にやかんに汲み置きしておく、と言われて「やかん」以外実行してきました。今回のことで、汲み置き水を始めました。