[全区議対象視察]南相馬市の1/4が避難指示区域に — その①

2011年6月5日 11時52分 | カテゴリー: 安心・安全

NHK福島のテレビ画面。放射線量のテロップが流れる。南相馬市は0.46だが、飯館村は2.・・の数字が見える。
NHK福島のテレビ画面。放射線量のテロップが流れる。南相馬市は0.46だが、飯館村は2.・・の数字が見える。
5月の連休にボランティアで石巻にヘドロかきに行ってからひと月が経った6月1日。1泊で、南相馬市と石巻市の現状を今度は区議会で「視察」してきました。今回の視察は前区議会議員対象に行われ、44人が派遣されました。

南相馬市は杉並区と災害時相互援助協定を結んでいる4自治体(名寄、小千谷、東吾妻、南相馬)のひとつです。今回の震災では、区は直後から南相馬市と連絡を取り、住民の避難先の確保と輸送支援、支援物資、そして、復興プランづくりの支援をする職員3名(3か月)と災害対応を支援する職員4名(1週間交代で3か月)を派遣しています。

南相馬市は初めて足を踏み入れる土地です。石巻と重茂の被災状況を見てきた私は、「全然違う」という感じを受けました。津波被害を受けたことに変わりはなく、被害状況も陸地深くまで流された数多くの船が横たわり、底を天に向けている光景は同じなのに、何が違うのだろうか…。そう!暮らしの息吹が感じられない、つまりゴーストタウンのような感じが漂っているのでした。

原発から20km地点の道路にバリケードが張られ、そこから先に人を入れないように警官が立っていました。あの警官の背中は「避難指示区域」、胸側は「屋内退避区域」。でも空気にはバリケードは張れないから空気は常に行き来しているわけで、あのバリケードってなんなんでしょうね。便宜上(?)あるのですよね、きっと。
ちょうど、バリケードから50mほど離れた「圏外」にいる私たちの横に自衛隊の車が停まっていて、そこで白い防護服から一般の自衛隊服に着替えていた方が数人いらっしゃいました。50m先とその駐車場では扱いは大きく違うのですが空気は一緒です、たぶん。放射線量の違いをラインで引くことの困難さを実感しました。

津波で1階部分の壁がすっかり流され、2階だけは変わりなく残っている家が点在しています。そういう形でも残っている家以外は瓦礫と化して跡形もない状況です。土台の跡だけがあり、悲しい景色です。「屋内避難地域だけあって人っ子ひとり見かけないわね」と言っていたその時。柱と床だけしか残っていない1階部分に3歳くらいの子どもの手を握ってじーっと立つお父さんの姿があり、息をのみました。映画の1シーンのようでした。ここで暮らしているのだろうか。避難所から自宅を見に来たのだろうか。

南相馬市役所には原発から20km、30kmの同心円の赤いライン入りの地図が貼られ、放射線のことを解説した資料が置かれていました。私たちが200キロメートル以上離れている東京で放射線量を心配しているのとはとても比ではありません。だから、大都市で暮らす私たちのエネルギーに対する考え方はいままでどおりにはいかないこと、変えねばならないことを実感してきました。