チェルノブイリ原発事故から25年、汚染茶の缶を開けられない

2011年6月26日 23時50分 | カテゴリー: 安心・安全

1缶100円の呼びかけ「放射能汚染茶の共同保管に参加して下さい」

生活者ネットの事務所に黄色い缶詰があります。これは放射能おせん茶。「お煎茶」ではなく「汚染茶」です。

1986年4月26日、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所で大きな爆発事故が起きました。火災が収まるのに2週間もかかったという報道に、原発に対する恐ろしさを感じていました。
原発事故から1週間後、約8,000km離れている日本でも放射性物質が水や野菜、母乳から検出されたというニュースに、乳児や子どもを持つ家庭は不安がいっぱいでした。当時、夫の転勤で名古屋にいたのですが、小学4年生と2年生の子どもを持つ親としてもチェルノブイリのニュースが気になる毎日で、お母さん同士の挨拶は「放射能、大丈夫かしら」とみんなが不安を抱いていたことを覚えています。情報もいまほど入手する手段がなかったこともあり、いつしか心配も3か月もすると終息していきました。

同年7月末に名古屋から東京に戻ってみると生活クラブ生協では、「三重県産のお茶から放射性物質が検出され、生産者が供給をストップした。国の基準値370ベクレル/kg。このお茶は227ベクレル/kgであり国の基準値以下だが、生活クラブ生協では国の基準の1/10、つまり37ベクレル/kgを自主基準と定めている。このお茶をどうするのかを組合員の討議にかけて決めよう」ということでお茶が「班」に配られ、組合員討議が始まっていました。

「国の基準値以下なんだから飲んでも大丈夫よ。飲んじゃいましょう」
「だめ、だめ。気持ち悪いから捨てちゃいましょう」
「でも簡単に捨てられないみたいよ」
「じゃあ、焼却したら?」
「埋めればいいんじゃない?」
「埋めても焼いてもだめみたいよ」
「え〜!?じゃあどうしたらいいの?」

その結果、できたのが「放射能汚染茶」の缶詰です(写真上)。放射性物質の影響が長く続くことを実証していくことを目的に缶詰にして共同保管し、25年後に線量を測定しようとしました。その25年目に起きたのが今回の福島原発事故です。静岡県のお茶も基準値以上の値が出て出荷停止となっています。
チェルノブイリ原発事故による汚染茶の開缶は見送りとなりました。