親を看取る、自宅で看取る

2012年7月20日 10時44分 | カテゴリー: 福祉

プーは大きな価値がある

腰椎骨折をして8年。7年間、痛みと原因不明の痒みと持病の糖尿病に苦しんできた父がやっと苦しい闘病生活に別れを告げました。自宅で身内を看取るのは夫の両親に続いて3回目です。

亡くなる1週間前から妹と交代で実家に泊まっていました。亡くなったのはお盆の入り。猛暑だったため、襖を締めきりにしてドライアイスを抱えた父は19度に設定した部屋に寝かされました。夜はお線香を絶やさないようにと線香番を決めようとしたのですが、その時起きた人がやりましょう、とラフな母の打ち合わせのもと、おのおの眠りにつきました。

が、なかなか寝付かれず。遠くでカタカタと音がしているな〜と思いながらウトウトするもののやはり寝付かれず。そのうち目を開けると1時半。お線香をあげようと襖を開けてビックリ!明かりが消えているではありませんか!
(いやだぁ、コワイよ〜)
電灯をつけると、ま、当然父が横たわっているのですが、なぜか枕元に鍋が2つ、釜が1つ、足元に梅漬けの樽が置いてあります。なに、これは!?おまじないか?線香をあげた後、明かりを点けたまま部屋を出る。また30分経ってお線香をあげに襖を開けると真っ暗。
(やっだー!なんで電気消えているのよ!コワイ〜)
で、お線香をあげて明かりを点けたまま部屋を出る。こんなことを薄明るくなる4時ころまで繰り返して、それ以降はぐっすり眠ってしまいました。

朝、起きると母が、
「ゆうべ、電気点けっぱなしだったのは綾子?」
「そうだけど」
「私が電気消しているのに次に見ると電気が点いてておかしいわね、お父さんが点けているわけないし、って思ってたのよ」
「私は襖開けるたびに真っ暗で、お父さんが消しているのかな、って怖かったのよ!それより、お父さんの枕元に鍋釜並べたのお母さん?足元には梅の樽が置いてあるし」
「だって、この暑さじゃお味噌汁やご飯がダメになっちゃうじゃない。梅干しも減塩で漬けているからカビ生えちゃうと困るしね。ちょうど寒い部屋になっていたから」
「だからと言ってお父さんと一緒にしちゃって、かわいそうでしょ」
「あら、お父さんだって賑やかでいいと思っているわよ」
「・・・・・」

妹のところの長女(アグリガール=農業をやりたくて宮崎、岡山、千葉、沖縄で自分の落ち着く先を見つけて歩いている)が6月上旬から静岡に。ミカン農園にでも働きに行ったのかと思いきやなんと伊豆の旅館の「仲居」さん。(細腕繁盛記を思い出した。冨士真奈美の「おい、加代。おめぇに食わせるメシはないずらッ!」のセリフが頭をかすめる)しかし、「仲居」は自分に合わないと感じて(みんなは最初から合わないと思っていた)「辞めます」と言って帰ってきた彼女を待ち受けていたのがジイジの訃報。告別式が終わったあと、この姪がバアバに付き添って大活躍です。
「一族にひとりのプー(太郎)って必要ね」と妹。
「ん〜、プーじゃなくてフリーで動ける人っていう意味でしょ(^_^;)」と私。

家族の介護をする人は大事な存在。でも、家族だから当然とされて介護者の「個人の部分」が見過ごされてしまっています。介護者の存在に光を当ててその問題点を解決しなければ日本の介護システム、それだけではなく多くの国民の暮らしが崩壊すると思います。いま、介護者(ケアラー)に光を当てる「ケアラー基本法」をつくる運動が大きなうねりとなりつつあります。この運動に私も賛同しています。