太宰サミット開催中に「あっ、地震!」― 3.11の時と似ている揺れでした

2015年5月30日 22時12分 | カテゴリー: 市橋あや子は考える, 市民参加のまちづくり, 杉並 あれやこれや

太宰サミットがセシオン杉並で開催されました。
きっかけは、太宰治が天沼に7か月程度借りていた「碧雲荘」というアパートが売りに出されることを知った太宰治ファンや文学・歴史愛好者たちが、「アパートを残したい」「太宰の足跡を残したい」と立ち上がったことに発しました。

杉並区は、アパートの裏手にある国が所有する「荻窪税務署」と線路向こうにある区立の複合施設との財産交換を決め、その準備に動いているときのことでした。区としては、今度区の所有となる土地の形を少しでも凸凹がない形に整えてから複合施設を建てたいと考え、碧雲荘を買うつもりで所有者と年度末に向けて交渉を始めていました。

歴史・文学・荻窪のまち愛好者の皆さんたちが「荻窪の歴史文化を育てる会」を立ち上げ、青森や三鷹の団体に声をかけ、今日の「太宰サミットin荻窪」の開催にこぎつけました。住民の熱意、パワーはすごいです。
生家がある青森から弘前ペンクラブ会員の方が、1年3か月間住んでいた千葉県船橋から観光協会の方が、入水自殺をした玉川上水が流れる三鷹からは三鷹市太宰治文学サロン学芸員の方が、杉並からは中央大学国文学部の先生がパネラーとして参加。また、太宰治検定実行委員長で太宰治の縁戚にあたる方(太宰の姉か妹のお孫さん?ひ孫さん?)が緊急提言に駆け付けてこられたところで地震発生。

セシオン杉並は建物がしっかりしているので不安はありませんでしたが、3年前の3.11の時と似ている揺れでドキドキしました。床からツンツンツンツンとつつかれているような上下の微振動が来て「地震?!」と思った瞬間、数字の8の字を床と平行に描くような横揺れに変わりました。20時24分頃、小笠原付近でM8.5の地震が。でも、緊急地震速報もなく、杉並区防災メールも4分後と悠長なもので、館全体での放送はなく。せめて震源はどこそかで津波の心配はないとかなんとか伝えなくてよかったのか?お向かいの部屋は高齢者の方たちが利用していましたが「し~ん」としていました。サミットが開かれた会場では主催者が重い扉をガバットと開けて、避難道確保をしていました。えらいッ!

先日の震源が群馬県桐生、茨城南部で震度5弱の地震の時は、丸ノ内線に乗っていました。新宿駅に着いてドアが開き、乗り込むお客さんが終わってドアが閉まる寸前の時でした。車内の携帯が一斉に「キュウン、キュウン」と鳴りだし、ホームでは「地震です、地震です、地震です、地震です、・・・」のアナウンスがありました。

・・・で、なんでしたっけ?
そうそう、太宰サミット。主催者の皆さんは、1番目に「このまま残してほしい」、2番目に「曳家で移設するか解体して組立てる移築」、3番目に「別な場所にでもいいから一部を再現して残してほしい」とおっしゃっていました。この日知ったのですが太宰は、
1933年に天沼3丁目に転居、同年に天沼1丁目に転居
1934年三島市に滞在したのち
1935年に船橋市に転居
1936年に再び杉並の現在の西荻北1丁目の照山荘に転居し、同年に碧雲荘に転居
1937年に天沼3丁目に転居
ということで、5年間の間に7回居住を替え、杉並の中だけでも5回動いています。それで残っているのが碧雲荘だけという中での今回の件です。
区としても何らかの形で太宰の足跡を残していきたいと考えていますから3番目の
「別な場所に一部を再現して残す」もしくは「建っていた場所に歴史プレートを立てる」は可能だと思います。いま、署名運動が始まっています。