柏崎刈羽原発

私達の便利な生活は柏崎の市民の我慢と犠牲の上に成り立っている

先日起きた中越沖地震。東京でもゆ〜らり、ゆ〜らりと揺れ、「これ、絶対大きな地震がどこかで起きたよね」と感じるものでした。
雨が降り(大きな地震の後はたいがい天気が悪く、雨になる率が高い気がしませんか?)余震は減ってきたものの、その後の暑さと避難所生活でのストレスと、同じ場所に住み続けられるかという不安の毎日だと思います。心よりお見舞い申し上げます。

あの日、映像で刻一刻と状況が伝わってきました。不思議に思ったのは、柏崎刈羽原発の変圧器火災。黒煙が出て、ホースが何本か延びてはいるものの人の気配がない。なぜ人がいないのか?
自動で水が出るのかな?放射能でも漏れていて人が立ち入れないのか?燃えたままでいいのか?ひたすら変圧器が燃えている画像をみつめていると疑問符が頭の中にずらーっと並んでいきました。なぜ消火活動しないの?と、誰もが思ったことでしょう。
消防車が配置されていない(火災が起きることは想定されていないのかな?)、消火用水管が損傷して水が出ない(周りは海です。塩水をかけちゃいけないのかな、やっぱり)、危機管理の不十分さ、セーフティーネットの無さが露呈しました。

原発は、地域住民の覚悟や我慢の上に成り立っているリスクの高い事業です。「安全」をうたい続けているということは、「危険である」ことの裏返しです。このことを忘れてはいけないと思います。
そして、首都東京に暮らす私たちは、便利な暮らしを送っているその奥にある、危険と隣りあわせで暮らしている方々の存在を忘れてはいけないのです。
写真 上)2002年、見学した柏崎刈羽原発。今回の地震で倒れたドラム缶は当時このようにきれいに並んでいた。
下)原子炉・中心に立つ。当時杉並区議だった樋口蓉子と。